
針の上で歌う
「音なんてなくなっちゃえばいい。 そうすれば私は普通になれる。誰の目にも止まらない空気みたいな存在になれるのに」 特定の場面で声を出せなくなる「場面緘黙症」を抱えた私の毎日は、その日を乗り切ることで精一杯だった。 コロナ禍で世界中が混乱に陥っていても、私の世界は変わらないはずだった。 メロデスと金木犀の香りを纏って駆け抜ける孤独な少女の物語。「読書感想文」
AYA、ジュン君、チヒロ、なっちゃん、ママ、パパ、 M・O・Dのメンバーを照らす光が明日を導くラストに涙しました。 彼ら彼女らに自分を発揮できる居場所や人があることが嬉しくなりました。声を出せない状況を『針が喉に刺さる』という表現に衝撃を受けました。 少し怖い言い方をすれば、刀で一気に切られ失うよりも想像を絶する痛みの継続で私には耐えられないです。
AYAちゃんとは違いますが、私は今でも時々自分の中で生まれた感情を既成の言葉でうまく表現することができないことがあります。 伝えたいことのタイミングを逃したり、過去には誤解をされて悲しい思いをしたこともありました。
その人の目線や態度でわかってしまい(勝手な受け止め方で)、次に発するのが怖い時があります。 声も然りで。波立たせぬように。荒立たせぬように。発してしまった声と言霊は消えませんから。 でも相手に思いを伝えるには既成の言葉と私の声を使う術しかなくて。未だに怖いと思うことがあります。 私の声。私の言葉。その人に届けられるのか。
AYA、ジュン君、なっちゃん、チヒロ、どの子も純粋で感受性が人一倍豊かで自分に厳しく、 他者への思いやりと優しさに溢れるスペシャルな存在だからこそ、 意図しない誰かの目線や一言が自分を責めているように傷つき動けなくさせているのでは、と思いました。 そして大切に思う人に対して深い洞察力と思慮が無意識に働いてしまうから。
また、自分自身を責めながらも自身の内なる力気づき、自分に迷いつつも諦めずに何度も立ち上がり、 チャレンジを続ける姿にエールを送りたい気持ちになりました。 直接言葉にせずとも、離れていても、常に彼らに寄り添ってくれている周りの良き理解者の存在も救いでした。
失礼ながら南口先生と私は同じ名前ということに加え、 読み進めていくうちに他にも共通点や『!』なことに驚いています。
気づけば子育て中に始めた演劇を奇跡的に25年あまり続けられています。 この度、御縁があって自主映画『そのこえ』で場面緘黙症の青年の母親役をさせていただきました。 恥ずかしながらこの作品に出会うまで『場面緘黙症』というワードを知りませんでした。 ただ、振り返れば学生時代にそうだったかもしれないクラスメイトがいたことを思い出しました。 私なりに調べていく内に、複合的に要因を抱え辛い思いを抱えている方々が少なからずいらっしゃることに心が痛みました。
さて、私に何ができるんだろう? 多分、病気、症状云々より御縁あって私の人生で出会えた人としてかかわらせていただくんだろうなあ、と。 一期一会の出会いかもしれないし、その後一緒に笑い合える人になるかもしれません。 その人の安心できる居場所の人になれたら。一時一時を大事にお互いに寄り添えたらいいなあと思います。
南口先生の作品をもっと読みたいと思いました。
南口先生に出会えたこと、『針の上で歌う』AYAちゃん達に出会えたことに感謝いたします。
ますますのご健康とご活躍をお祈りいたします。
今後ともよろしくお願いいたします。御縁に感謝!
May 9, 2022 (令和4年5月9日)
柳井 綾子