
ぼっちママ探偵
最後の一行まで真実は謎・・・シングルマザー、在宅勤務、おまけにぼっちママの主人公は「ぼっち」を謳歌していた。
キラキラママ、意地悪ママ、ボスママ、社交的ママのなかで浮きまくるぼっちママ。 唯一の味方(助手)はひとり娘の成実だけ。 娘と2人、誰にも理解も感謝もされない孤独な探偵ごっこが幕を開ける!
「ぼっちママ探偵 レビュー」
本作品の本題は、恐らく私たちの誰もが少なからず共感するものであると思う。タイトルにあるように、この作品は自称「ぼっちママ」である主人公が彼女の娘の通う小学校を中心に日常で起こるちょっとした事件の謎を解き明かしていくミステリーの色合いのあるモノだ。いや、「解き明かす」ではなく、ここは「解きほぐす」と言ったほうが妥当か。 たった今、ミステリーの色合いと記したところだが、事件の発端や解決自体は単なる物語の背景にしか過ぎず、スポットは専らその場その場での主人公の心の「揺れ」にあると私には思える。
私たちは、生きていく上で何らかの形で、例えば学校、職場、親類家族、隣近所などであるが、他人との接触は完全には避けられず、時にはそれが困難な場面も出てくる。この主人公もまた他人とのコミュニケーションが上手く取れないことに悩み、後悔や自問自答を繰り返している。 彼女は物語を通して母としての、仕事人としての、ある男性の元妻としての、またSNSコミュニティーの参加者としての顔を見せてくれるのだが、実際の他人との関わり合い、特に「ママ友」としての顔を見せることへは一変して頑なに拒絶を示す。その代わりのように植物へ関心を寄せるの彼女なのだが、打算や見返り、しがらみの一切を持たないシンプルな植物たちの相互作用が人同士のそれと実に対照的に表現されている。
「私たち人間もこんな風にシンプルに生きられたらどれ程いいだろう。」
誰が悪いわけでもない。人の数だけ物事への捉え方や反応の仕方がある。それによって誰かが傷つく事も悲しむ事もある。主人公のように必要以上に自身を責め、結果としてぼっちママの道を選ぶことも起こり得る。筆者は本書のあとがきで「思い込みを排除しようとする自身の奮闘記録です。」と記しているが、これは誰にでも思い当たる点がありそうだ。
さて、丁寧で心地よい描写と共に特にこれと言った大きな驚きのもないまま物語は終盤へと入っていく。 そのまま平和に最後のページをめくり終えるのかと思いきや、最後の一行で「そういうことだったのか!」と前回の作品である『束縛』と同様、またしても驚きと感動に震え涙が出てきた。そして「やられた!」と何度も声に出しながら、実は物語の冒頭から何重にも張り巡らされていた伏線を確認するために2度読みすることとなる。
この筆者の作品の構成が本当に好きだなぁと思う。一つの物語が空間的に作成されているような感覚になる。もしかしたら最後の一行から逆行して作成しているのでは?それとも、全てが集約されて筆者の手の平に綺麗に収まっているのか?
とにかく多くの人にこの作品を読んでもらい、私同様「やられた!」と声に出しながら2度読みする羽目に堕ちって頂きたい。加えて、私が意味するこの「空間的な感覚」を味わって頂きたい。
August 1, 2022 (令和4年8月1日)
アリエル